■ バレエの先生について

<このページは私の個人的な考えを述べているだけの内容ですので、意見の異なる方や読まれていてご不快に思われる方がいらっしゃるかも知れません。あらかじめご了承の上、お読み下さい。>

《バレエの先生について》

 どの先生にも比較的共通して感じるのは「バレエの先生には美魔女?が多い」という感想です。やはり“美”を追求する職業ですし、バレリーナの美意識が高いのは当たり前。人から見られる職業でもありますしね。いくつになっても美しい先生方は生徒にとっては憧れの存在になることも多いと思います。

私にとっても、いくつになっても美しい自分のバレエの師匠は今でも憧れの存在です。
子供の頃は畏怖の念も含めて見上げていた先生が、自分が年を取ると共に同じようにお年を召され、いつしか自分と同年代の先生に、今では自分よりもずーっと若い先生に教えて頂くことも増えて来て、生意気にも最近は一歩離れて観察するという感じでお若い先生を拝見する時さえあります。

<バレエ教師は神様でも教祖様でもない>
 誰でもどの世界でも師匠との関係は良好でありたいものですよね。しかし時々、バレエが大好きでバレエにどっぷりとハマってしまう方の中には、先生をまるで教祖様のように慕い、スクールやクラスを宗教のように愛して、自分の居場所をそこに見い出してしまうような方がいます。
しかしバレエの先生は「神様」でも「教祖様」でもなく、バレエのお友達は運命共同体でもないのです。 先生やお仲間への過度な期待や要求は不要ですし、そのような気持ちは自分自身を縛ってしまいます。

<教師も一人の人間>
 先生も人間ですから様々な方がいらしゃいます。殆どのバレエ教師は皆一生懸命生徒さん達に向き合っています。しかし、ごく一部にそうでない方もいます、環境によってはバレエ以外に殆ど苦労をして来なかった世間知らずなお嬢様のまま大人になってしまった方もいらっしゃることは事実です。 また、気の強い方でないとプロのバレリーナとして過ごしてこれなかったという現実もあり、比較的負けず嫌いだったり言葉の強い方が多いようですが、これは決して悪い事ではありません。

子供のころは「先生」という存在は盲目的に尊敬することができましたが、大人になれば自分とは異なる意見をお持ちだったり、「あれれ?」と感じる先生の言動を目にして色々思うことも発生して来ますよね。バレエの教師であっても皆さんと変わりない普通の人間ですので、違和感を感じるのは当然のことです。

<昔の師匠は「神」>
 昔は「師匠と弟子」の強固な上下関係があり、それこそ“バレエの先生”は私達にとっては「神様」でした。 “礼儀”という風習のもとに、絶対服従・反論禁止はもちろん、季節や特別な指導毎のお礼が必要だったり、先生の前を歩くなんてことすら出来なかったくらいです。 しかしこんな風習の一部は悪しき習慣でもありましたので、現在は大分改善されて気持ちの良い環境になって来たと思います。 中にはそんな環境の中で育って来て、自分を教えた先生の態度をそのまま踏襲して随分横柄や我がままに振る舞ってしまったり、 熱意のあまりひどい言葉で生徒さんの心を傷つけてしまう先生がいても、不思議はないのです。

<今どきの生徒さん>
 また、教師側の言い分もあります。生徒さんの側でも許容範囲を逸脱してしまう言動をされる方が、最近では少なからずいらっしゃるということです。
児童は叱ることが出来ればそれで済みますが、最近では親御さんから「躾は家で行うのでバレエ以外の注意はしないでくれ」と言われてしまうケースもありますし、生徒さんの方が親御さん以外の大人の注意は聞かないお子さんもいます。(私達の時代は靴の脱ぎ方や更衣室の使い方など、お行儀から躾けられたものですが…)

大人の場合には、バレエの技術の注意は出来ますが、振る舞いについての注意は他のトラブルの根になってしまうこともあるので、出来るだけ避けたいところではありますし、いい大人になった人間に他人から「躾」は出来ません。そのような事などが原因で、生徒間あるいは師弟間での関係が無法地帯化してしまっているクラスもあるようです。
たとえ費用をお支払している側の身であっても、教えを乞う側であることに変わりはありません。基本的には教えられる側は教えてくれる相手を尊重するべきだと私は思います。なぁなぁの関係は良い事ばかりはもたらしません。

先生の中には、問題の生徒さんのことをなるべく無視してご自分から辞めて行くように仕向ける人もいますが、そんな行動には私は否定的です。そのような先生は「はっきり言って傷つけるより良い」と言いますが、無視されたり仲間外れにされた方がずっと傷つくと思うのです。それに話してみれば誤解であったという事もあります。(但し話してみても「先生と完全に解かり合える」というのも難しいものでもありますが…。)

お教室の中には、住宅街にある為に悪い評判が経営に響いてしまう恐れがあり、生徒さんとの誤解やトラブルを避けなければならないようなお教室もあります。最近は一方的な印象や意見を安易に広めてしまう方が多いという現実があります。バレエ教室の経営を継続させるのも大変な事業なのです。

<指導の平等なんてありえない>
 どこの世界にも完全なる平等の世界なんてありえません。もちろん頂いている代金の分は全ての方に同じ指導を行う義務がありますので、レッスンでは全員がほぼ同じ訓練を行います。 では指導の注意はどうかと言えば、それは生徒さんの個性がそれぞれですのでもちろん差や違いは出て来ます。 同じミスでも相手によって注意したり、しなかったり。それはその注意がその時の生徒さんの状況によって 適切であったりなかったりする為です。1つの注意でいっぱいになるレベルの方もいれば、いくつもの注意を受け入れられる レベルや個性の方もいらっしゃいますので。

 また、教師はいつも、接し方は違ってもそれぞれの相手にフェアな気持ちでいるつもりです。ですが熱意を見せる生徒さんには、やはり教える側も力が入るという事実はあります。それは上手いか下手かという問題ではありません。バレエの注意は何度受けても中々直せないものが殆どですので、バレエ教師は何度も同じ注意を繰り返します。直そうとして直せない生徒、少しづつ直る生徒、何度言ってもまったく意識しているのかどうか判らない生徒、その3人が居たとしたら、3番目の意識しているのか判らない生徒さんへの注意が比較的つい少なくなってしまうことはあります。また成人のオープンクラスでは注意されることすら嫌がる生徒さんがいらっしゃるのも事実ですので。

もし先生に直して欲しいのであれば、受けた注意を一生懸命意識しているのだということをアピールするのも ひとつの手だと思います(例えば注意を受けた箇所を何度か確認したり練習したりしてアピールしてみてはどうでしょう?)。 自分の注意を意識されれば注意した方も嬉しいものです。

また先生の中には、一人の生徒さんだけを直して皆さんに理解してもらうという先生もいます。対象となる一人の生徒が変われば問題はないですが、同じ生徒ばかりでは他の生徒さんはやはりやる気を無くしてしまうので私は賛成できませんが、それでもそれがその先生の方針ならば仕方ありません。

バレエでの「平等」というものは定義がものすごく難しいと思いますが、絶対に「平等」でなくてはならないもの…でもない気が私はしています。結局、素人の大人のレッスンでは受講する側がその先生を選ぶかどうか、その一言だと思います。最近は生徒のやる気を起こさせない先生は自然淘汰されて行きますので。(意外と残酷ですよ、誰も欠点を指摘してくれずに廃業ですから。)

<先生の技術や知識>
 私は教師の技術についてとやかく言える身分ではないのですが、技術についても先生によって様々です。 もちろん高い技術をもつ先生に指導を受けることは大変良いことです。しかし、名バレリーナが必ずしも名教師ではなく、 逆に才能に恵まれず切磋琢磨して技術を身に着けた人の方が指導についてはずっと上手な場合もあります。 才能があり技術をすぐに習得できてしまう人には「なぜできないのか」を深く掘り下げられない人も少なくないからなのかも知れません。 ですが、不思議なことにバレエは「美」を見せることでもとても有意義な指導となりますので、“美しい”だけの先生からも 得られるものも実は多かったりします。その先生によって得られる「益」も様々です。

現役や元プロでなくてもしっかりした技術の先生もいらっしゃいますし(但し個人的な意見ではありますが、プロを志望する児童やジュニアにはバレエ団に所属した経験がある先生のお教室をお勧めします)、反面、バレエ教師は免許制ではないので技術的にもバレエを教えられるレベルでない先生もいるのが現実です。(私は常々免許制を導入するべきだと考えています。その方が教える側も自信を持って指導が出来ますから)
また、長い指導経験を持つベテランの先生は若い先生より指導の仕方をよく知っています。そして“表現”することについては、やはりキャリアの分だけ深みがあります。それはとても貴重なものなのです。若く美しい先生以外にもぜひ指導を受けてみて下さい。但し、古い指導方法、知識・感覚のまま指導されて、あまり良くない結果に生徒を導いてしまう先生がいることも実はあります。

 時代が進めば技術も知識も進みます。どの先生もご自分が経験された、見聞きした分でしかバレエの世界を知りません。現在ではバレエの世界も広いので教師側も新しい知識を得る事にも積極的ですが、必ずしもその先生の知識、指導だけが“絶対”ではないのです。それでも教師は日々自分の持てる知識、技術の中で必死に工夫して、目の前の相手をより良くする為の努力を続けています。それは生徒さんが自分の指導を受けたいと足を運んでくれているからです。

例えば多くの教師は児童が大きくなると外の世界を体験させる為に、他所のワークショップやクラスを受講させたりします。それは生徒の見聞や意識を広げる為でもあり、また自分では不足しているかもしれない部分の指導を補う為でもあります。ほとんどの教師は自分が完全だとは思ってはいません。しかし人を導くのであれば、(目的・目標は違えど)信念を持って行わねばならず、その中でベストを尽くしているのです。

<バレエ教室はサービス業>
 今や星の数ほどあるバレエ教室ですから、教室の方針や先生の考え方も様々です。プロ志望の児童の指導を最優先に考える“プロ養成校”のような教室、楽しく情操教育の一環として指導する教室、多くのクラスや舞台に出席する“熱意のある生徒”を優先させる教室、気楽にいつでも受講できるオープンなクラスを中心に経営する教室。 バレエ教室もサービス業の一部です。お客さまのニーズに合わせたサービスを提供するのが当たり前。 ですので、受講する側も自分の希望にあった教室や先生を選びましょう。目的に合わない指導を受け続けるのは時間とお金と心の無駄遣いです。

 生徒と教師の出会いはやはり科学反応的です。相性の合う者同士なら上手く行きますが、ダメな場合は全く成長出来ないか負の方向へ進んでしまいます。たとえ気が合っても指導が合うとは限りません。何を成長とするか、益とするかは人それぞれですが、バレエのレッスンが自分にとって「貴重な楽しい時間」であって欲しいと心から思います。

最後に、“先生を美化していたいなら、あまり近い存在にはならないこと”、これは私のバレエ信条のひとつです。

素敵な先生と出会えることをお祈りしています。