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掲載日:2017/9/7
■ 理想?と現実のギャップ

 私がバレエの解剖学に興味を持ったきっかけは、アラベスクの時の腰骨についての先生からのご注意でした。「腰骨はちゃんと両方前に向けて並べてね!」「腰を開いて脚を上げてはいけません」。しかし教えの通りに必死にやっても、脚を高く上げると腰は上げた脚の方へ開いてしまいます、そして脚も高くは上がらない。ある時、先生の代講で現役ソリストの若い先生が教えに来られて、「はい!アラベスクではお尻のお肉は重ねちゃって下さいね〜!」と言って、(「お尻のお肉を重ねる」という表現が良いかどうかは別として(^^;))素晴らしく綺麗なアラベスクを見せて下さいました。

「???!!腰骨って開いてしまっていいの?!でも、この先生のアラベスクは綺麗だし、主役級のソリストとして活躍している人の上げ方なのだから正しいのよね?」と、私は困惑してしまいました。今思うとどちらの先生の言いたい事も解るのですが、肉体の動かし方を言葉で表現するって、本当に難しい問題だと思います。

実際に調べたところによると、アラベスクで脚を高く上げる時は骨盤を前傾させると共にわずかに上げる脚の方へ回旋(回す)させなければ、人間の脚は後ろに高くは上がらないそうです。但し、大きく回旋させて骨盤を身体の正面に対して大きく捻った状態で脚を上げてはいけません。私の先生はその大きな捻りのことを注意したかったのだと思います。前や後ろに脚を上げる時の注意は  「脚を高く上げる−前後−」のページで書いていますので詳しくはそちらをご覧下さい。前後に脚を高く上げる時のコツは、(異論のある方もいらっしゃるとは思いますが)骨盤やお尻を“回す”のではなくて“重ねる”イメージで行うことなのです。

“重ねて”いる訳ですから、両側の腰骨は前を向いていますよね?ただ、真横に並んではいません。これは「大きく捻るな!」という注意の為の表現だったのだと思います。しかし誤解を招き易い表現である事は確かです。真面目な私は必死にその矛盾と戦ってしまったのですから。

 このような注意は他にも沢山あります。例えば5番ポジション。「きちんと両膝を伸ばして脚を重ねなさい!」。この注意が実現できる身体の持ち主は現実には殆どいないそうです。実は5番ポジションって多くの人は前脚の膝をわずかに緩めて立っています。「緩める」という表現は正しくなくて、バレエにおいて“膝を伸ばす”とは“膝の裏側を一直線にする”という事なので、その使い方ならば殆どの人が5番ポジションで両膝がきれいに伸ばせます。しかし膝を表側から裏側へ押し込むように伸ばすと完全にターンアウトされた5番ポジションであっても、腿等が邪魔をして完全には膝が入らないはずなのだそうです。元々5番ポジションは膝と足首をかなり捻らないと実現できない形ですから、その捻りの中で膝を裏側へ押し込めるような立ち方をすれば故障の原因になることは明らかです。

 「膝や足首を捻らない!」これも実はとても難しい言葉です。なぜなら現実に180度のターンアウトを実現させる為には、1番ポジションであっても大腿で6〜7割程度脚を回旋し、残りを膝と足首を更に回旋させなければならないのですから。5番は更に捻りが強くなります。つまり「捻らなければ180度ターンアウトは実現しない」(プリエ時は除く)という現実なのです。なので私は「大人素人には180度ターンアウトは不要 」と考えています。ターンアウトで大切なことは「可能な限り大腿で脚を外旋して、膝と足首の捻りはごくわずかに留める」という使い方です。

バーで「膝と爪先は同じ方向に向けなさい」と注意されますが、それはあくまでも意識の上でのことで、ターンアウトをして完全に膝を伸ばした状態になると爪先と膝の方向が完全に一致することはありません。但し特に注意しなければならないのは、プリエをした時に爪先が膝より開いていては絶対にいけないという事です。プリエでは膝は更に開いた状態になりますので、そのまま膝を伸ばせば確実に膝や足首を大きく捻ることになります。こんな状態で安全に踊れる訳はありません。

 他にも先生のご指導と矛盾する現実は思い当たりますが、なぜこのような事が起きてしまうのでしょう?もちろん多くの先生は、より注意を強く思い留めてもらう為にあえて表現したり、説明する時間がないので直感で一番修正し易い意識の持ち方を伝授しようとしたりします。また、先生ご自身もそのように表現された言葉で指導を受けて来たという経験から同じ言葉を使う事も多いようです。そして現実に、体の構造もその通りだと誤って認識してしまっている先生も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか?

現実に私のA先生は脚を前へ高く上げる時に絶対に腰骨を前へ譲る事を許しません。しかし90度よりはるかに高く脚を前へ上げる時には、わずかに上げた脚側の腰を前へ出さなければきれいに高い位置へは上がりません。もちろん大きく腰を出してはいけませんのでそのご注意は正しいのですが、「ほら!出ていないでしょう?」と実演された先生の腰は確実に前へ出ているように私には思えてなりませんでした。どの程度譲って良いかはメソッドや先生次第なのだと思いますが、わずかにずらしただけで上げた脚のターンアウトは促進され高さも上がり重心も中心に集まりポアントで立ち易くなります。どちらを優先させるかは先生次第ですので、基本的にはレッスンでは先生に従って下さい。私が知らない理由もきちんとあるのかも知れません。
(ちなみに物凄い柔軟性のシルヴィ・ギエムさんさえもこの上げ方をしています。)

 この日本でバレエやダンスにおいての解剖学が広まって来たのはごく最近の10〜20年程度の間です。そして医療と同じくこの解剖学という知識も日進月歩の研究がなされています。以前は「レッスン前には入念にストレッチをしなさい」と言われてきましたよね?しかし現在ではレッスン前のきついストレッチは筋肉を使えなくするという理論になっています。「ターンアウトは内腿の内転筋が行うのだ」という知識も現在では「内転筋だけではなくお尻下の外旋六筋も大きく働く」という事が解って来ています。しかしそれすらも数年後には間違いになっているかも知れません。

私達の若い頃はとにかくターンアウトは「開け!開け!」、背骨は「引き上げろ!引き上げろ!」という表現でした。安全はあまり考えられず、見た目優先の判断がされて来ました。現在でもプロのダンサーは安全より見た目を優先しなくてはならない場合もあります。

何が理想で、何が現実なのか?理想を実現したくても、体の構造がそうなっていないこともあります。

 理想と現実が違うのはテクニックだけのことではなく、例えばセンターレッスンで同じ組になった生徒さんの追い越しは原則禁止ですが、素人のオープンクラスでは身長も実力もバラバラで、他人に合わせてばかりでは自分の訓練になりません。もちろん狭いお稽古場では迷惑になるので厳禁ですが、広いお稽古場では多少の追い越しは仕方ないと私は考えています。先頭争いばかりに夢中では見苦しいですからね。

 「先生を信用するな!」と言っている訳では決してありません。ただ、疑問を持った時や痛みが発生した時など、自分でもある程度知識を得て、どう動くかを自分の判断で決めるべきだと思うのです。(先生に対しては難しいことだとは思いますが。)また、整体師等の意見も必ずしもバレエや貴女の身体にとって正しいとは限らないという事も、覚えていて下さい。バレエの先生も整体師の先生も、貴女と同じ身体は持っていませんので。

 私が一番残念に思う理想と現実のギャップは、子供に「将来バレリーナになりたい!」と言われた時に、なんの憂いもなく「では一緒に頑張ろうね!」と言えないことです。いつかある程度大きくなった時、彼女に「日本のバレリーナは食べて行けないよ。どうする?」という話を誰かがしなくてはなりません。海外で活躍も良いですが、活躍できるのは本当に一握りですし、本来は自国でも職業として確立しているべきなのです。この点については一刻も早く、理想が現実になってくれることを願ってやみません。