先頭に戻る
■ 児童のコンクールとポアント

 今回は児童のコンクールについて私の感じていることを率直に書いてみました。共感される方、されない方、あるいは私の認識不足などあるかも知れませんので、その点を留意してお読み下さい。

 とにかく最近の日本は異常かとも思えるくらいにコンクールが乱立しています。コンクールは夏や春に開催されることが多いので、夏はバレエスクールにとっては発表会とコンクールの指導で怒涛の期間となり、私のような教え(指導)引退組も“助っ人”として指導補佐に狩り出されるような状態です。

私自身はコンクールの指導補佐や付添いの経験はあるものの、自分が出場したことはありません。私の時代ではコンクールは将来プロを目指すバレエ・エリートの子が先生の推薦や許可の元で出場するものでしたから。以前は関東地区でコンクールといえば、全日本(日本バレエ協会)、全国舞踊:全舞(東京新聞)、埼玉(埼玉県舞踊協会)辺り、地方でこうべや長野も古かった気がしますね。最たる物はやはりローザンヌ?(私の時代には日本からは受けられませんでしたが)でしょうか。

 最近は本当に気軽に出場できるコンクールが増えて、スカラーシップ(奨学金授与あるいは留学許可)目当て以外にも度胸試しや目標設定のために出場する子も多いようです。児童の方からコンクールのちらしを見せられて「先生、これに出たいんですけど」と言って来る時代だそうです。本人の技術レベルの問題はあるにせよ、教師の一方的な選抜ではなく自分から発言して出場できる時代になったことはとても良いことだと思います。

 コンクールの存在自体は私も意義のあるものだと思っています。特にシニア(若手)にとっては経歴に箔がつきキャリア・アップにつながる武器の一つにもなりますし、自信につながる事は本人にとっては大きな財産です。
しかし…はたして「舞踊」って優劣を付けられるものなのでしょうか?それが私にとっての疑問です。
プロのダンサーやバレリーナにとっての優劣は、ハッキリ言って、より多くの観客が「良い」と感じる人の踊りが優れていることになります。対価を払ってその人の踊りを観に足を運んで頂くのですから。しかし“商業”を離れた場合では、“芸術”に優劣はつけられないのではないかと私は思っています。要求される“型”や“表現”も時代や国によって違いもありますし。

 バレエの公演は“商業”です。しかしバレエそのものは“芸術”です。必要なバレエ・テクニックがあればバレエは踊れますし、あとは踊り手の感性と受け手(観客)の好みの問題ですよね。そこに「審査」という物差し的な要素を組み入れるべきなのかと、本音では思ってしまうこともあります。成熟した踊り手の「舞踊」では「技術」だけではなく「表現」こそが、本来の醍醐味だと思うからです。ゆえにバレエのコンクールの出場資格は基本的に“若手”(シニア)までなのでしょう。

 シニアはまだ良いのです、技術的にはある程度完成していることが前提での審査となりますので。高度な技術も人を魅了する大きな要素の一つですし、審査は審査員の(点数制ではありますが)多数決で優劣が決められる訳ですから、まあ公平です…しかし児童は?
成長差が大きく発展途上の段階で優劣を付けることに私は大きな違和感を感じます。プロになれるのかどうかの指標とするのならば中学生後期からの審査で十分ですし、スカラーシップの資格を取る為ならば中学生になってからで十分だと思うのです。

 児童の場合は各自のモチベーションを上げる為や、成長の目安とする為にアドバイスシート等の“評価内容”を頂くことも目標のひとつかも知れませんが、ローザンヌやせめて全日本のようにレッスンのアンシェヌマン内容から見て頂いて評価をもらうならまだしも、たった3分以内のバリエーション1曲を見ただけで、どれほどの評価が出来るのでしょうか?児童の場合、出場曲だけは踊れてもレッスンの姿を見るとまだまだ未熟な子も大変多いです。そんなアンバランスな成長が良いとは決して思えません。受け取った評価内容を見てもそれほどの内容が書いてある訳でもないことが多いように思えます。たった1曲では濃い内容で書ける訳がないのです。

 コンクールの主催側は年齢相応の仕上がりで良いという前提なのかも知れませんが、競う側はそんな悠長なことは言っていられず、まだ体も神経も出来上がっていない子供に負荷の多いレッスンを強いてしまうことになります。発表会用の振付なら変更は出来ますが、コンクール用では原振付から大きく逸脱することはできません。どれほど教師側がセーブをしても、本人が他のスクールを掛け持ちして同じ動作を繰り返し体を苛めてしまうので守ってあげることが出来ないのです。その結果、疲労骨折や肉離れを繰り返し、軟骨組織の発達不良やしこりのある筋肉を身に着けてしまう。
人間の足の骨が完成されるのは16〜17歳だといいますが、日本のコンクールでは10や11歳の子供にポアントでほぼプロと同じ振付けのバリエーションを踊らせて審査をします。
この法則に従うと、結局頑丈で器用なモノマネの上手い子供だけがコンクール入賞者つまり「バレエが上手な子」になってしまうのです。もちろん丈夫で器用なことは大切な才能の一つです。しかし遅咲きの花や、不安定さが良い方向へ昇華する花もあるのです。

10や11歳と言うと6歳頃からバレエを始めた子供が、ようやくポアントシューズを履き始めるくらいの年齢です。それでも体の事を考えるとまだ早いくらいなのです。歴史ある海外のバレエ学校でも履き始めの年齢では本当に基本の動きしかポアントでは立たせません。ポアントシューズはポアントを履ける筋肉や関節が出来上がってから履くものであり、「体重が軽いうちから早く慣れましょう」なんて事を言って未熟な児童に履かせるものではないのです。なのに早々とポアントを履かせてしまう教師や、またそれを喜ぶ親御さんがどれほど多いことか!

 日本バレエ協会主催の全日本バレエコンクールの出場資格は中学生からですが、私はそれで十分だと思っています。小学生にポアントでのバリエーション審査なんて必要ありません。行うならせめてアンシェヌマン審査まで、あるいは小学生用に振付けた踊りをバレエシューズで踊らせるに留めるべきです!まだ体が出来上がっていない子供に大人のそれも主役級の踊りの技術を求めるべきではないのです。基礎がきちんと出来ていれば、高度なテクニックは中学生からでも身に着けることは出来ます。シルヴィ・ギエムは12歳で体操からバレエへ転向、ニーナ・アナニアシヴィリは10歳の時にスケートから転向してバレリーナになりました。
時々、物知り顔で「もう今からじゃ遅いわよ」とか「完成度が遅い」という話をする保護者がいますが、成長期の子供の可能性を早くから決めつける事は誰にもできません。現実に不安定な遅咲きだった子供が現在は海外で一人で暮らして踊っていたりする訳ですから。私の経験ではナイーブな子供の方が繊細で良い表現をするバレリーナになったりすることも多いです。花が咲く前につぼみを摘んだり壊したりするような言動を大人がして欲しくないのです。

 今の子供はビデオ世代で、本当にビデオのままそっくりに仕上げて来ます。モノマネが悪いのではありません、すべての芸術は模倣から始まるのですから。しかし、それが「人の心を動かすバレエが踊れること」ではないのです。小中学生の時にどれほど器用に踊れていても、大人になって感動を呼ぶ踊りが出来るようになるとは限りませんし、また故障の火種を身に付けてしまわないとも限りません。児童に一番大切なものは適度な量の基礎訓練と情緒表現の習慣なのです!

 バレエを学ぶ上で、目標となる指標や、スクール外の世間的なレベルを知ったり、評価を受けたりすることは決して悪いことではありません。しかし「勝つ」事だけを目標とするコンクールは大人の世界でだけにして欲しいと思います。開催意義がイマイチ判らないようなコンクールはただの“商業目的”です。海外留学はバレエのみならず人生の貴重な経験にもなりますが、留学したからと言ってプロのバレリーナになれるとは限りませんし、日本ではバレリーナになっても殆どの人は食べては行けません。海外で長く踊って行けるプロになれるのはそれこそホンの一握り!!
コンクールに出場するならしっかりと自分の中で「何のために出場するのか」、「何のために練習するのか」をしっかり自覚して、正しい指導者(異常な無理をさせない先生)の元、出場する価値のあるコンクール(審査員の顔ぶれ、審査の内容、審査料、賞の内容、etc)を選んで出場して欲しいと思います。また(私が言うのは僭越の極みではありますが…)コンクールの主催側もコンクールが児童に及ぼす影響をもう少し熟考して、審査内容を検討して欲しいと願っています。