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掲載日:2019/06/15
■ 「とりとめのない話」 “夢”は持つことを強制されるものではない
 
 今回もバレエとは関係ない話なのでスミマセン(^^;) なんとなく思ったことを書いてしまいました。

 テレビやネット記事を見ていると最近は色々な事が話題になっていますが、「生きづらい世の中になっているなぁ〜」なんて感じています。つい少し前までは人の生き方の多様性が受け入れられていたと思っていたのに、今では少し過激な(世間的に)“悪い”ことをネット上に書いただけで恐ろしく糾弾されてしまう。まるで社会に監視されているみたいです。

本来インターネットの世界なんて誰でも書き込める“落書き板”みたいなものだったはずなのに。みんなネットに書いてあることを真剣に受け止め過ぎなんですよ、ウソの情報も本当の情報も載っているのがネットなのに、変だなぁ。

コメントで意見を求めると、良い意見もあれば、悪い意見もあり、中には悪意しかないような意見も見受けられますね。気の小さい私などは益々自分のこのサイトでコメント欄を設けられません。過去の経験から文章だけでの意思疎通ってとてもハードルが高いと思うんですよね。中々正確に自分の真意を伝えられないし、理解してもらえない(最初から聞く耳持たない人には何を言っても無駄になりますし)。

 「少年よ、大志を抱け!」とはクラーク博士が学生に「大きな志を抱いて生きよ」と説いた言葉。今はその“大志を抱く”ことが強制されているように感じるのは私だけなのでしょうか?

例えば、学生の就職。せっかく就職しても「自分に合わない」「やりがいがない」「自分はこんな仕事をする為にここに就職したんじゃない」等の理由で、多くの新入社員が辞めてしまうのだそうです。大学の指導でも“インターン制度”なんて職業訓練コースがあって、学生の内から“自分に合う仕事”を探すのだそうです。“インターン制度”自体は良い制度なのでしょうが、はたして全ての学生さんが自分がやりたい仕事が見つかるものなのでしょうか?振り返ると私の就職時には何がやりたいのかなんて全く判っていませんでしたし、今でも明確ではない気がします。また実際に配属された職場毎に環境は様々ですよね。

「仕事」ってクリエイティブな、やりがいのある、楽しい、ものでなくてはいけないのでしょうか?もちろん、そういう仕事が持てたならそれは幸せな事だとは思います。でもね、毎日各家庭のゴミを収集してくれる清掃局の方、きれいにビルや街を清掃してくれる清掃員、動けない人の介護をして下さる介護士さん等、あまりクリエイティブでもなく、多くの人には嫌がられる作業をして下さるお仕事の方はとっても貴重で意義ある存在なんです。たとえ自分でもあまり楽しいとは思えない仕事だったとしても、その仕事をこなしてお給金を頂いて自分や家族を養って生きる生き方だってとても尊いの。本当はそういう「人気のない仕事」の方にこそ多くのお給金を得て欲しいと思う。どんな仕事であってもやりがいを感じられたらそれは素敵だとは思うけれど。でも現実はかなり多くの人が我慢して自分のお仕事をしているんですよね。

人に注目されるような職業で活躍する人も、そうでなくてひっそりと生きている人も、まったく人としての価値は変わらない。人はそれぞれ多様で構わないのだから、大切なのは「自分が幸せであると感じられるかどうか」なのだと思います。仕事で楽しみを感じる人もいれば、仕事で得たお金で自分のお楽しみを味わう人もいる、それで良いのだと私は思います。

大昔に流行った「狼は生きろ豚は死ね!」なんてフレーズは、自分が豚になった時のことを考えてないよね?人生なんて何があるか判らないのに。こういう人ほど社会的弱者になった時に自分の権利ばかりを主張する。もちろん社会的弱者が“豚”ではないですよ!(人間は動物の豚さんにも感謝して生きねばならん(~~)b 。)

「働き方改革」とやらで女性の社会進出が叫ばれていますが、専業主婦であっても、働く主婦であっても、それは人それぞれで良いと思うの。専業主婦だから束縛されて可哀想でも、働く主婦だから忙しくて可哀想でも、ないんです。自分固有の人生なんだから自分の積み重ねてきた選択の果てに今があるわけでしょう?。

社会的には人手不足だから政府(おかみ)は働ける全ての人に働いて欲しいのでしょうが、自分の人生は一回きりなのだから、せっかく自由の国に生まれたんだし、環境が許すのならば自分の好きにして良いのだと私は思うのです。ただ、理想的には相互に補い合う“持ちつ持たれつ”の関係が作れたら素敵だなぁとは思いますが。だから「働きたい人」や「働く必要がある人」がいつでも思う存分働ける社会をみんなで作れたらいいのになぁ。60代以上でも活躍している女性は沢山いますからね。(でも世間って若い女性が好きよね〜、ぷんぷん!)

 人生に目標や夢があることはとても良いことだし、それを勧める人は自分の経験からの意見なのでしょうが、そういう物がなくても人は毎日を幸せに生きて行くことは出来ると思う。日々の小さな幸せだって、自分が楽しいとか快感!と思えればそれでもいいんです!

「インスタ映え」とか「承認欲求」とか、どうしてそんなものが必要なんだろう?
人が誉めてくれたら幸せになれるの?誉めてくれた人が現実に自分を幸せにしてくれるの?

「夢をあきらめるな!」は良い言葉だとは思うけど、それを叫ぶ多くの人は「夢」がかなった人。例えば「プロのプリマ・バレリーナになりたい!」という夢は99%以上の人が叶いません。叶わなかった時でも人生は続くんです。そんな時はどう気持ちを切り替えて生きるのかも考えた方が良いと思う。そして場合によっては「あきらめる時」が必要な時もあるんです。次の人生を生きなくてはならないから。

(昔に比べ、プロのバレリーナになりたい夢を持つ子供がとても増えました。トップ・プロやトップ・アスリートを目指す道は本当に生活の殆どを練習の為に犠牲にしなくてはならない世界ですから、親子で一緒に見て来た夢をあきらめる辛さは言葉では言い表せません。最近は「バレリーナになれなかったら教師に」という道でも食べて行くことは容易ではないんです。それまで培った経験はとても本人の力にはなる経験ですが、それが収入に直結する訳ではないですし、別の道に切り替えてもまた更なる努力が必要となります。夢ばかりみていてもいけないですし、余程の覚悟がないのであれば最初から他の道を選択した方が幸せだと思います。)

 バレエ界ではコンクールが乱立だし、他の世界でも様々なコンテストや大会が増えています。競う事がモチベーションになるらしい。最近ではみなさん3歳以下から習いごとを始めますよね、後からでは間に合わないと思うから。仕方のないことなのかも知れませんが、「小さい幼児期からやらなきゃプロにはなれないよね」という現実?風潮?には心が痛みます。

「やりたいこと」が見つかった人は良いですが、「やりたいこと」が見つからない人、“一角の人物”になれなくても、その人の人生も幸せなんですよ。
“夢”は持つことを強制されるものではない。

“ひとはそれぞれ”でいいんです。それぞれに幸せになりましょう?


PS.今回はあまり面白くないお話になってしまいました。次回はバレエについての記事にしますね!ごめんなさい。